2017年1月5日木曜日

はじめてのピッツァ

耳の調子はよくなってきたが
こんどは鼻の具合が悪い。
夜中に咳き込む。

また別の風邪をもらったのだろうか。

野暮用で
下北沢へ。

急ぎの仕事があったが
せっかくなので古本屋「ほん吉」に寄り道。
『浅草のひと 久保田万太郎から渥美清まで』(鈴木としお)
を一冊購入。

音楽の棚に
「ブルース・レコード・ガイドブック」が並んでいた。
状態はいい。1,400円。

20代のときに編集の末端に名前を連ねた本。
原稿も書いた。

2年も歳月をかけている間に
レコードの時代は終わり
CDの時代が訪れようとしていた。

原稿はまだ手書きだった。

ファクシミリが編集部にやってきたのも
あの頃だったろう。
吸い込まれていく原稿が相手に届く理屈が
まったくわからず
「届きましたか」
と送った後に電話した。

そうそう残業の夜食といえば、蕎麦屋のドンブリものが常だったが
「ピザが食べたい」
というH社長の一言で、初めて宅配ピッツァをとるという作業に参加したのも
渋谷の並木橋に近い、あの事務所だった。

「ピザですか」
Kさんは、念をおした。

Hさんは、おそらくブルースの街ウィンディシティ名物
シカゴ・ピザを連想していたのであろう。

もちろんそんなものが売っているはずもなく
ドミノだったかどこだったかに注文した。

こういうのを夜、たべるのか。

カツ丼でお腹が満たされるのとはまた違う
ところにおさまった気がした。

いろんなことを思い出す。

あの本ができた年の暮れ、確か私は息子を産んだのだ。

2017年1月4日水曜日

ライター志望

ライターになりたいという
妹の同級生がいるそうだ。

だが
始めた仕事が
先ごろなくなってしまったという。

いやな予感はしたが
案の定、問題になったまとめサイト関連の原稿書きをしていた。

一題15円だか16円、ともかく
聴き直すのもいやになるようなギャラで
それが千円だかに溜まったら
引き出せるようになるという。
振込料も自分持ちだ。

なんかヘンだなあと思いながらも
勉強だと思ってやっていたらしい。

要求基準も曖昧で
誰にも出来不出来を評価してもらえない
原稿など、ほとんど
一人相撲のようなものではあるが。

なんといっても
妹の同級生というくらいだから
齢五十アラウンドである。

こういう人たちの
いわば、お人好しな努力の上でに
大きな利益を享受している会社連中がいる。

一番わかりやすく反吐の出る構図やん!

彼女がライターになりたいのには
家庭の事情を含めさまざまなフィルターがかかっているらしい。

それはまあいいい。
モノになるかならないか。

確かにそんな彼女が文学賞を獲らないとも言い切れないのだから。

書きたいこと
伝えたいことがあるなら書けばいい。

それは今の私に対して投げかけている言葉でもある。




2017年1月3日火曜日

終わりゆく三が日

さて、ぼちぼちやるかと
寅さんを観ながら事務仕事をしていたら
デザイナーさんからメールがきた。

頑張っておられることと思いますが と ある。

○○は180文字。××は120文字。
そうだな、やらなきゃな。

腰はあげたが、何も頑張ってはいない。
しいていえば、間違えずに請求書や書類をつくることは
私にとって平均以上の力を要するわけで
その点では頑張っていた。

2日に実家に言ったお礼かたがた
母に電話。

「集まれてよかった。他の人は娘の家に行ったとか
孫たちが来たとか言うけど、私はもうおねえさん(私のこと)
Rちゃん(私の妹)のところにも行けないから」

私の責任もあるようで、少しばかり辛い。

「さみしいからよかったよ」

初めて、さみしいと言ったのを聞いたような気がする。

今年母は米寿を迎える。
息子(つまり私の弟)と暮らしてはいるが
身体のまわりに
もう自分ではどうにも埋まらない時間と空間があるのだろうか。

米寿のお祝いをどこか田舎でないところでしてあげたい。

私にとって家族はずっとずっと
良くも悪くも大きな存在であった。
最近、そこから卒業して生きる手はずもあるはずだと
思うようになった。
だが、母という存在だけは邪険にすることができない。
まだまだ、なのだろうか。

Spotifyは、Classic Acoustic。
思いがけずビートルズ率が高く
In My Lifeが耳に残る。

あ、耳といえば、少しずつ減らしてきたステロイドを飲むのはこれでおしまい。
耳にシャがかかった感じはまだとれず。
ときおり、ふわりとめまいもするが
目のかすむ感覚はなくなった。
つきあっていくしかない。

2017年1月2日月曜日

男はつらいよ

熱のせいで目覚めてしまった夜中から
Gyaoで男はつらいよを観始めた。

第一作から
ほぼ毎日見つづけたがようやく48本中半分だ。

正直に言おう。
しっかり観たのはこれが生まれて初めてだ。

小林信彦が渥美清について書いた本などは読むくせに
国民的映画という、うたい文句が苦手で
つまみ食いしていただけであった。
やっぱり駅前シリーズの方が面白いよね
なんてうそぶいていた。

しかし、これがやはりというか見飽きない。

寅さんは、ろくでなしだ。
まともじゃない。

だが、トランク一つで
虚と実の間を揺れ動きながら
生きていく寅さんを邪険にはできない。
身内という実の部分で関わるのはカンベンでも
しがらみの外で出会うなら
磁力を持った人物であることは
少なくとも私にとって、まちがいない。

わたしは虚の世界で
勝負する人が好きなのだ。

テキヤという道に近いところでの
商いもいい。

そういう寅さんの人生を
俯瞰しながら眺められるのだから
これ、悪いはずもない。


とらやの事情は、近所に駄々漏れである。
いつも窓や戸口があけっぱなしのとらや。
炬燵だけでは、冬などさぞ寒いであろう。

恥ずかしいことの数々を駄々漏れにしながら
生きていた時代の人間模様である。

周囲の人たちも、冷ややかな目を浴びせることはあっても
恥ずかしきことを
お互い様と認め合っているようなところがある。

身分の違い、あたりまえ。
見目の違い、あたりまえ。
都会と田舎の違い、あたりまえ。

逆に言えば、違うところから
人と人がいかように交じり合うのか。
その心のやりとりに
面白みがある。

あとは、電話かな。

公衆電話で10円玉の落ちるテンポが
物語によい具合のリズム感を醸している。

考えたら、メールって冗長だ。
ここまでとしなければ
いつまでたっても関係に終わりというものがない。

ひといきつけない時代になってしまったんだなあ。

他にもいろいろ感じることはあるけど
まずはまだ休み気分の間に
続きを観るとしよう。

2017年1月1日日曜日

2017年元旦雑記

新しい年がやってきた。

風邪をこじらせ、思わず耳を痛めたりしたため
12月後半はただひたすら時間に揺られるように
過ごしていた気がする。

そんなわけで、情けないことに
大晦日まで仕事を引っ張ってしまった。

そして気がつけば新年だ。

息子は大晦日も元旦も変わらない。
夜通し騒ぐなんてこともない。
思いついて初詣に誘ったが
まったく関心がないようだった。

せめてもの昼ごはんは、
かしわと、昨日スーパーで求めた
富山のしろえびかきあげを入れた
スペシヤルうどん。
あぁ、お餅を食べてない。

穏やかな日のせいか、小さな神社なのに
初詣には列ができていた。
日なたは温もっている。
並ぶのを苦に感じそうでなかったから、素直に並んだ。

みんな家族で来ている。

うしろの小さい娘を連れた若夫婦は、厄年の心配をしている。
「今日、●●八幡にいきたかったな~」
「前厄だから、明日は●●大師行こうか?あ、××大師まで行っちゃう?」
ダンナさんのほうがいやに饒舌だ。

「女の人って厄年は60までないのか。いいなあ。でも厄年って
別に何もなかったよなあ」
「遠距離恋愛だった」とおくさん。
「そうだったっけ」
「あんまりよくなかった」

娘さんがお賽銭を入れたいというと
「いいなあ。お年玉全部いれちゃうか。パパ、どうしよう500円入れたほうがいいか。
そうか、ママと△△とあわせて615円だな」
あははと笑う。

この人がダンナさんだったら
真面目そうな人だけど、飽きちゃうかもなあと
失礼ながら
わたしは背中で話を聞いていた。

私の前のご夫婦は、何枚か賽銭を投げて手を打った。

私は10円玉一枚しか握っていなかった。
鈍い音が、大きく賽銭箱に響いた。

おみくじ。100円  小吉----------------------

「話すことの大切さ」
悩みや苦しみがあるときに思い切って誰かに話してみる話してみると
心が浄化されたように感じます。それは感情を言葉にすることで、自分自身の
中で問題点が整理され、自分の気持ちを冷静にとられられるようになるからです。
何でも話を出来る人を作り、大切にしましょう。
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誰かが一所懸命書いてるんだろうなあ。

こういうの書くの嫌いじゃないなあ。
えーと
健康 病あれど良薬みつかる。  これはありがたいね。
仕事 時は金なり。俊敏な対応を。 手際よくやんないとね。
失物 出にくい。低い所。   あぁ、なるほど床に散らばってるからね。
恋愛 押しの強さで成就する。 押すだけの気力なし。
縁談 今の相手と添い遂げよ。 窮屈でも目移りしてはならぬと。

勝負 強気に出て勝負あり。

これは今年の私の思いに合致する。

でも、と言わない。
強い気持ちで、グッドバイブレーションを醸せるように
生きていかなくちゃ!