2015年1月10日土曜日

オーティス・クレイのライヴ盤

仕事場から20分ほど歩いて、世田谷線に乗った。

道すがら、オーティス・クレイ・ライヴを聞きながら。

やはりリハーサルからオープニングのところ。

何度聞いてもぞくぞくする。
赤い血が猛烈に身体をかけあがって
青い血に変わるような思い。

クレイ、バンドのみずみずしさもさることながら
お客さんの反応一つひとつが、とても素直だ。

ライヴ盤と銘打って、MCは入っているのに
客席の声が小さい、あるいはほとんど聞こえない。
あれはいただけない。

ステージ、観客、スタッフそろってこそ、三位一体でのライヴ。

O.V.ライトのピンチヒッターできたクレイにとまどいはあっただろう。
そして本当はO.V.を待っていたはずのお客さんには、
それほど期待していなかった人もいたはずだ。

そんなスリルもまたこのライヴには
潤滑油として左右した。

私自身、このライヴは見ていないのだが
高校から大学にかけて本当によく聞いた1枚だ。

家にあるレコードは、針飛びしている。

大学のサークルには、このライヴをMC含めアタマから完コピしている人たちがいた。

日本語詞も傑作だったなぁ。

浅川マキは“Trying Live  Life Without you”を
「あなたなしで」という日本語詞で歌っているけど
それに負けないくらいよかった。

しかし、そうした思い出を差し引いても
ソウル・ミュージックのエネルギーにあふれるスーパー・ショウ。
負の部分をまったく感じさせないアルバム。

当時を知る人たちの記念品で
終わらせてしまうのは、つくづくもったいない。



2015年1月8日木曜日

スヌード をまとう

前から欲しかったスヌードを買った。

ディスプレイされていたときぱっと目に入った色。
鮮やかな緑と迷ったが
海棠色のような赤系に決めた。

30%オフで、2千いくらだった。

決して余計なものをふんだんに買える経済状況にははないが
少し自分を甘やかした。

待ちきれなくて建物の影で
袋から出した。

しまった。
平らにたたまれているのか。

スヌードは、つまり少々しゃれたネックウォーマーだ。
マフラーと異なり
輪っかになっているので
首にかけて二重巻きにすれば
不器用な私でも、それなりに形がつく。

いや、つくはずだ。

そう思って買ったのに
あのディスプレイのように巻けないであろうと
残念な気持ちになった。

しかし、身に付けたい気持ちには変わらない。

持ち歩いている折りたたみのハサミで
タグをはずした。

鏡もないし、どうしたらいいのかわからないので
とりあえず首にかけぐるぐる巻き付ける。

とんでもない格好で歩いているような気がする。

道行く人に見られているような気がする。

家に帰ってスヌードの巻き方を調べたが
どうもよくわからなかった。

鏡を見て
ずきんのようにかぶってみたり
斜めに垂らしてみたり。
あぁ、これは変身グッズでもあるのだな。

スヌード(Snood)が
スコットランドなどで未婚女性が付けたヘアバンドから来ていることも初めて知る。
正確には垂れ下がった後ろの髪を入れるネットだったようだ。
未婚女性というからには、つまり処女の証であろう・
http://www.ebay.com/itm/Vintage-Crochet-PATTERN-to-make-Petal-Snood-Headband-Hair-Band-Net-/140341742736

これはこれで、おしゃれだ。

さらにそれが、耳の長い犬が食事などの時に
汚れないように付けるバンドになったという。

http://pixgood.com/dog-snood.html


うーん。スヌードがない時代は汚れ放題だったということか。
放題の場合、犬自身で解決する術はもたなかったのだろうか。

そして私である。

ぐるぐると巻き付けることだけしかできない
能のなさとは言え、
とりあえずはお気に入りの色でもある。

髪をしまうでなく、耳をしまうでなく
ただただ楽しみのために身にまとう。
しまいこんだ私を見てもらうために身にまとう。






2015年1月7日水曜日

両A面 人生は

朝。

着替えて、いつものようにヨーグルト、キウイ1つ、グラノーラを食べ
今日はほうじ茶を飲む。

余ったほうじ茶をボトルに詰めて持っていこうとしたが
キャップがみつからない。

みつからないまま、
パソコンで天気予報を見たり
調子の悪いiPadのUSBケーブルを探したりする。

するとアマゾンに安価でよさそうなものがあったので
注文する。

あれやこれや、歯を磨きながらふと洗面台の時計を見ると
いつも乗る電車の発車時刻だ。

つまり遅刻である。

これを正月ぼけというのだろうか。

しかし、途中乗換でちょっとだけ小走りに
階段を乗り換えただけで、いつもより3分ほど遅れただけで済む。

電車の中吊り。

「両A面人生」とある。

いや~思わぬ名曲はB面の方が多いものだよ。

両A面で売り出すこともあるけどさ、
そもそもは主役のA面に、脇役のB面。

ちょっと影に沈むB面という立ち位置の悲哀があるんじゃない。

さらによく見ると
「人生、夢だらけ」
とも。

なんだか息がきれそうだ。

かんぽ の広告だった。

打合せを終えたら
路上で、ある宗教のアンケートのおばさんに声をかけられた。

アンケート用紙に宗教団体の名前があったので
それとわかったのだ。

どんなことを尋ねるのか少々興味があるので
「宗教には興味ないですよ」と断って立ち話。

最終的に講演会に来てもらったりするのが目的なので
どの質問もたいがいなのだが
「お金と時間があったら何をしたいですか」
とは、なんとざっくりした問いかけだろうか。

意に沿わない仕事をやめる。

いろんな意味で、遊んで暮らす。

ただそれだけだ。







2015年1月6日火曜日

新しい年

あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

今年こそは、という区切りも変ですが

ブログもぼちぼち書いていこうと思います。

年末年始は休み明けまでの仕事もなく、
久しぶりに実家で4日間。

妹夫婦が元旦から伊勢参りにでかけたため
齢八十を超えた母と、いまだ独り者の弟と
所在ない私のみ。
スーパーで2000円ほどのお刺身のお造りを頼んだほかは
おせちも小さく小さくなりました。

大晦日に、全日注文したお造りをスーパーに取りに行く。
「昨日、お刺身をお願いした●●ですけど」と
売り場にいた
ひょろひょろと背の高い白い作業衣の青年に声をかける。

あ、はい。と奥に行き、楕円の皿に載ったお造りをもってきたが
頼んだはずの、マグロのさくはない。

「あら、マグロもお願いしたんですけど」
と首をかしげると
そこにありますから、と魚売り場のケースを指さす。

あるには、あるけど、頼んだやつじゃないでしょ。

まあいいけど、こういとき
「お切りしましょうか」
とか、そういう気はまわらないんだねえ。

私も父親に気がきかないとよく怒られたものではあるが。


こたつの各々のポジションに足を突っ込み
身体を小さく折ってしばし横になって目をつむっていると
時計の針の音と、庭のりんごをついばみにきた
ヒヨドリの声だけが聞こえます。

そういえば、昔はにぎやかだった
子どもたちの声もすっかりしなくなりました。

こうしてだんだん家は老いていくのでしょう。

それでも日頃は老母としか会話のない弟が
車の中で「何、きく?」
と言いながらボビーブランドやジュニア・パーカーをかけたり
2日に私の息子が来たときに
楽しそうに電気の話をする様子に
少しほっとしたものです。

息子Yくんが作った音楽ゲームにiPadで挑戦する母。
こたつのテーブルを片手で叩いてリズムをとりながら
アドバイスを送るYくん。

2つ★しか獲れなかったのに
その結果、4★になったときの母のうれしそうな顔。

ゲームもいいものだねえ。

家にとらわれるわたし。
家に守られているわたし。

ドメスティックな話題をSNSにあげるのは
なんとなく気が引けたのだが
あげてしまった。

少し後悔している。