2014年8月19日火曜日

捜し物はなんですか

盆休みらしい休みはないのだが
他から連絡が少ないので気持ちは楽だ。

今年後半のちょいと気の張ったプロジェクトに備え
デスク周りを清掃。

主にごみ捨て。

疲弊す。

やってもやってもごみの山だ。

小さいころから、落とし物のえんぴつがありました、
と言えば、私の名前が書いてあったものだ。

と某社からメール。

請求書を送ってほしいとのこと。

正確には請求書を受け付けるため
身分証のコピーと
登録用紙を送ってほしいというものだ。

ファクシミリか郵送で。

それが受領されてから、改めて請求書を発行する。

はっきり言って、かなりめんどくさい。

しかし私は昨年一度登録したはずだと思い
問い合わせたが、該当が見当たらないという。

どういうことだ腑に落ちぬまま
改めて用紙に記入し、証明書をコピーする。

と。

印鑑がない。あるべきところにない。

ない、ない、ない。

あるべきところどころは3度見た。
カバンも全部見た。
引き出しも全部ひっぱりだした。

でも、ない。ない、ないぞ。

疲弊す。

途中、Skypeで連絡があったものの、もはや上の空だ。

もういちど、積んである本をどけ
積んであるラックをおろし
せっかく整理したかに見えた床の上はぐちゃぐちゃだ。

泣きたい。

呆然。

印鑑、作り直すのだろうか。
あれは何か登録に使ったんではなかったっけ。

昔は、ないものは無いと
あきらめるのが早かったが
お金もなければ時間もない今は
「絶対、ある」「あったんだから、ある」
と言い聞かせるようにしている。

あきらめきれず
もう一度、ラックをどけて棚の下に手を伸ばしてみた。

あ!あった。

印鑑は床の上にごろんとしていた。

少し空いた大事なものバッグのチャックの間から
するりと落ちて転がっていたようだ。

茶色い印鑑袋をイメージしていたのに、袋は黒色だった。

いやになる。

自分が。

この年齢になったら少し治ることはあっても
大きく改善するということはないのだろう。

私がいつもそばにいてほしいのは
私の面倒を見てくれる人。




2014年8月17日日曜日

夏休みの思い出と虚と実と

今年のお盆は日程が合わず
墓参りに行けず。

母と弟だけ、信州へ行ってきた。
いつものとおり、上田のお墓に手を合わせた後
おみやげを手に
現在の千曲市にある親戚を3軒、回ったとのこと。

そして、たいしてうまくもない蕎麦と
夜はイトーヨーカドーで何だかを食べたらしい。

せっかくなのだから
たまには
母と一泊どこかに泊まればと思うのだが
毎年、毎年、同じ親戚めぐりである。
弟のFが好きなのである。

お墓参りの後も、時間が許す限り
お寺を訪ね、挨拶する。

親戚は、父のいとこの家、2軒と
私のいとこの家 1軒。

稲荷山という町に住む私のいとことは、
ずいぶん年齢が離れている。

小学校の3年生くらいまで
夏休みの半分は、この山のふもとの町で過ごした。




小学校にあがってからは
上野から一人で電車に乗せられ
先に来ている祖母と合流するのが常だった。

見送りに来た父は
サンドウィッチと、急須を模したポリ容器の熱いお茶、
そして冷凍みかんと、分厚い時刻表を渡し
隣にいるおじさんなどに、よろしくお願いしますと声をかけると
ホームで動き出す電車に手を振った。

父はにこにこしていたような気がする。

しかし、私には、にこにこと大きく手を振った覚えがない。

思い浮かぶのは、4人がけの堅い座席に
きちんと座り、時刻表を膝に置いて
頬をこわばらせた小さな女の子である。

もう忘れたが、碓氷峠には10いくつだかのトンネルがあるので
それを数えるように言われた。

時刻表で駅の名前を確かめ
だんだん山が近くなっていく、窓の外ばかり見ていた。

駅に着いて、迎えに来ていた先のいとこの顔を見て
思い出の中の私はようやく笑顔になる。

いとこの家は、今も電器屋だ。

店番をしながら電池を売ったり
ウインドウを磨いたり
あるいは軽トラに乗ってテレビの修理に行ったりするのが好きだった。

屋根裏のようないとこの部屋にある
ぎっしり本の並んだ本棚と、天体望遠鏡も
また私を夢中にさせた。

店の裏には、祖母のいとこだかが暮らしており
(皆、関係が近く複雑なのだ)
遊びに行くと、やはり可愛がってくれたが
お目当ては、コリントゲームだった。


点数を競うのはもちろんだが
球が重い音をたててごろごろと木の台を転がって行く
あの音を聞くのが好きだった。

持って帰りたいくらい好きだったなぁ。

自転車に乗ることを覚えたのも
この山のふもとの町の夏休みだ。

私の暮らすネオンの輝く街では
小学校低学年の自転車乗りは確か禁止だったはず。





祖母とは隣町にある温泉付きヘルスセンターに必ず行った。
プールで泳ぐのが楽しみで
一度水着を忘れたので、シュミーズ(シミーズと言っていた)で
ばしゃばしゃ遊んだことがある。

たいして泳げないので、だいたいプールサイドに近いところで
バタ足かせいぜい、泳ぐまねだ。

山の空は濃く、青く、そして日ざしはまっすぐと強い。

ひとりだが、行楽地特有の歓声がこだまする中
私は上機嫌だった。

すると
「なんで、そんな格好で泳いでるんだよ」
と、半ズボンの男の子に
水の上からゲタで頭を押さえつけられたことがある。

ぶくぶくと沈み、浅いプールではあったが底が見えた。

そんなことはされたことがなかった。

暗い顔をして私はそそくさと水からあがった。

たぶん、誰にも言わなかったと思う。

親戚、商店街の人たち、テレビの修理に行った家
どこに行っても可愛がられたが
このガキ大将のような男の子だけは、私を甘やかさなかった。




そういえば、中一のときだったかなあ。

人数が増えて中学が2つに分かれることになったのだが
先生が「こんなイイ子が行っちゃうなんて」
と、私を抱きしめてくれ、ふわふわしていたら
「イイ子じゃないやい」
とある男の子が言った。

見透かされた
コイツは、知っていると思った。

クラスでもダントツの秀才と呼ばれるYだった。
隣には今、医院を継いでいるKもいた。

実はこないだも、いい気になっている私は
手痛い一言を受けたのだ。

外向きの衣装を丸裸にするように
虚を生きる私を
ぐいと実に引き戻す一言。

いつか合体する虚と実もあれば
遊離したままの虚と実もある。

そして虚と実が
めでたくなのか、哀しくもか
一体になったものしか最後には残らない。
そんな気がしている。