2014年6月6日金曜日

買い物と見張り

久しぶりに大きなスーパーに行ったら
支払いが4,000円にもなった。

驚いたが、現金で支払った。

ナス、新じゃが、ネギ、などなど野菜
朝食べるグリーンキウイ
(ゴールデンキウイではなく少し青臭いグリーンがよい)
Yくんが食べたいといったので、サカナを探すと
これは、天然ブリが3尾で294円であった。

他に合挽き肉、豚のもも、
コーヒーフィルター、紅茶パック、カップ麺
ドレッシング、調味料、6個入りアイス。
ミョウガは139円もしたが、どうしても食べたかった。

ナスとミョウガのおみおつけ。

300円、300円、300円が10個で3,000円だものなぁ。

袋につめ、ひとつを自転車の前カゴに
エコバッグに入れた分を
緑と白色がシマシマになった自転車用バンドで
荷台にくくりつけた。

先日、100円ショップでヒモを買ったのだ。
ティッシュやトイレットペーパーを買って
前カゴに入れたのでは、他に何も入らず具合が悪い。

でも今どき、荷台に四角いカゴを載せている人はあっても
荷台にくくりつけている人は
あまり見かけない。

確かに格好はあまりよくないが、らくちんだ。

雑種のイヌを見かけなくなったのと同じころから
見かけなくなったのかもなぁ。

ドラッグストアにも立ち寄ったが
欲しかった洗剤も、重層も売り切れていた。

100円コンビニにも寄る。

私は買い物が好きだが
売り場ではいつも緊張する。

万引きしていると思われないかと
心配だからだ。

店に入ってきて、
ドリンクをぱっとつかみ
すぐレジに行くような、あれができない。

手に持たないようにするが
それでも、あれを買おうかこれを買おうか
いや、やっぱりやめようと、
狭い売り場を
あっちに行ったりこっちに行ったり。

つい、ぶつぶつつぶやいてしまう。

どんな業種の店でも同じ。

スグ近くに店員さんが来ると
あぁ怪しまれているのかな
と、ますます緊張してしまう。

カメラで監視する人がいて
店長か誰かが見張るよう指示を出しているのではないのか。

オーウェルの「1984」から
もう30年もたったのか。

Big Brother is watching you

2014年6月3日火曜日

花瓶のバラ

午前中から外だったので
昼は渋谷市場でお弁当を買う。

駅前、東急プラザの地階は
肉も魚も野菜もパンも、箸も茶わんも
お茶もお菓子も、近所のおつかい感覚で買える渋谷のオアシスである。

なんなら近所で買うより安い。

弁当380円~500円。
種類も多いし
それなりの副菜もついている。

選んだ弁当にその場でジャーから
温かいごはんをよそってくれる上に
缶のお茶が一本つく。
これも緑茶、烏龍茶、サイダー、水などから選べる。

今日はじめて
お店の名前が、尚太郎ということを知った。

ジャーからごはんをよそってくれる
おじさんの名前なのだろうか。

でも名前はどちらでもいい。

昔、タウン誌でまちあるきの連載をしているころ
散歩の途中で見かけた食べ物屋さんを
紹介するのが苦痛なときがあった。

いや、見つけるのはうれしいし
食べるのはいいのだ。

それをありきたりな写真に落とし込み
住所や電話番号を載せなければいけないとなると
腰がひけた。

私はいつも通りすがりの人でいたかった。

川本三郎さんの一部の本や
武田百合子さんの本を読んでいると
店名は書かれていないが
引き寄せられる文章がある。

鮮やかに情景が浮かび上がってきて
確かにそこに店があり、匂いがあり
人のざわめきがある。

またいっとき、散歩の途中で見かけた
花の名前を書きたくて
植物の名前を覚えるのに凝った。

母と妹への引け目もあったかもしれない。
2人とも華道の師範を持っているが
私だけ無縁だ。

無粋な自分への挑戦でもあり
図鑑を見ながら
すっとこどっこいなガーデニングもやってみた。

おかげで今でもいくらか花の名前は言えるようになった。

だが、視覚と固有名詞が結びついき
それを言葉に落とし込んだ途端
文章が精彩を失っていく瞬間を感じることがあった。

そういえば、どこかの学校だったか
物事の本質を教えてくれるようなエピソードを思い出す。

確か、教材は、花瓶に挿したバラか何かの花だった。

親に対し、子どもにそれを伝えてくださいと促すと
「これはバラですよ」
と教える人が大半。
誰もまず、「きれいね」とは言わなかったという。

名前はただの記号だ。

見たまま、感じたままに受け止め
表現し、伝える。
それについて、もっと苦悶しなくちゃいけない。









2014年6月2日月曜日

電車の中。バスの中。

山手線のドアが開いたら
お尻の見せそうな派手なワンピースが
後ろ向きに立っていた。

ちょっと邪魔っけだなと思って乗り込むと
バギーも一緒だ。

母ちゃんなのか。

ショッキングピンクのこれまた派手な服を着せられた
2歳くらいの女の子は、少し暑いのかお尻をむずむずさせている。

ロングヘアをブリーチした
派手な母ちゃんは、カバンからiPadを取り出した。

たいそうなカバーがついている。

地図でも見ているのだろうか。

と思ったら、バギーの手すりにはめこむように
子どもの前に画面を置いた。
子どもは黙っていじり出す。

母ちゃん、何も言わない。
娘も、何も言わない。
お互い、顔も見ない。
娘、さほど楽しそうでもない。

あろうことか、2人の立っている側のドアばかり開く。

乗り込んでくる人の中には
バギーの車輪をまたいでいる人もいる。

おおむね子どもは好きだが
母ちゃん、父ちゃんが好きになれないと
子どもまでいやになってしまう。

電車の奥から別の子どもの声がした。

こちらの母ちゃんは抱っこして
上下に揺すりながら、なんのかんのあやしている。

一方がまともで
もう一方が、まともには見えない、
というのは自由をうたう社会でもよくあることだ。


帰りのバスは、運転席がよく見える
ちょっと高台になったシート。
少しぼんやりしていると
初老の女性が運転手さんに話しかけた。
「すみません、おろしてください」

「なんですか?」
運転手さんも、少し驚いたようだ。

「あそこの店に行きたいんです」
初老の女性は窓の外を指さした。
指さす方向には小さなケーキ屋がある。

「次の停留所でおりてください」

200メートルばかり先の停留所に着くと
先ほどの女性は「ありがとうございました」と
またわざわざ運転席までやってきて
頭を下げておりていった。

とまどい。

私は、なんだか粗相があってはならぬような気がして
自分が降りるバス停の少し前から
足もとに置いてあった荷物をまとめ
バッグを肩にかけた。

私もこれからどんどん年をとっていくのだ。

2014年6月1日日曜日

真夏日の野音で

6月。日比谷野外音楽堂。憂歌団
本日は立ち見は禁止、日傘禁止。

野音もせちがらくなってきたなぁ。
この年齢層で何が起こるっつーねん。

昔もモノ投げる奴(これはアブナイ)、押し合いへしあいはあったが

私は、紙テープ投げたことがある。

でも自浄作用が働いていた。
アブナイ奴には注意したし
危なくなったら、回りの人が声をかけてくれた。

いまは、それがないから、ダメなのか。

まぁ。缶チューハイが300円と安いのは良しとする。

ずっとブルースばかり流れている。

あたりまえのようだけど、意外だった。



西日をまっすぐに浴びて座っていると、あれっ。

左隣は、下北沢のバーのマスターであった。

一度しかお会いしていないが
SNSつながりで顔をお見掛けしてすぐとわかる。

一人置いて右隣は、
関西弁の男性コンビ。
手慣れた合いの手が、憂歌団ファンらしい。

私のすぐ右となりの女性は
連れかと思えば、おひとりらしい。

帽子を目深にかぶり、黒い日よけの手袋をしている。

拍手も小さいし、声なんか出さない。

ときどき、カバンを探って関係者用に配られたセットリストをのぞいている。

どうも、いかん。

あったまってしまった缶チューハイを飲み干し
好き勝手にイエーと叫び、笑い、ときに一緒に歌う。

アンコールになると、
マスターは知り合いのところに移動してしまった。

自然に皆、立ち上がる。
私も立つ。
隣の女性はもちろん立たない。

ふと左隣を見ると、座ったままのカップル。
男性が女性の手を握っていた。
女性は泣いている。

曲は「キスに願いを」。
康珍化さんの詞で、曲は花岡さんだ!

とまどう。

メンバー紹介で思いっきり、ハナオカサ~ンと叫んでみた。

見上げれば、ステージの上に細い三日月。

日比谷の野音に初めて来てから何年になるんだろうと
数えて、さらにとまどった。

もう40年近くになる。

やってること、なんにも変わらない。

憂歌団は、ドラムスの問題を除いても
変わらないようでいて変わった。
勘太郎さんのリーダーシップが強く出ている。

予定外の2度目のアンコールで
「アイスクリンマン」「君といつまでも」「カンサスシティ」
で場内を大合唱させてしまうあたりは
これはもうさすがに
バンドの底力としか言いようがない。

その一方で
不動のナンバーがいくらでもある
素晴らしさはそのままに
これから新しいメンバーで
また20年も愛される歌が生まれてほしい。

それでこそ再始動だろう。

一緒に歌っているうれしそうなお客さんの顔を見ながら
一人ひとりが憂歌団なんだなぁと思った。

それでも、メンバーが
そんな思い出や思い入れを、ある意味ものともせず
新生憂歌団として活動していってくれたら。

そしてそんな彼らと一緒に生きていけたらうれしい。