2014年3月14日金曜日

Love don't Love・・・

あまりにめまぐるしかった。

何をしたんだっけ。

あ、そうか。

午前中は、大女優と呼んで差し支えないであろう方の取材。
共演者の男性も一緒に。

何人もの方を同時にインタビューするのは難しい。

さらに、さすがWさん、
共演者さん、そして周囲に
気を遣われているのがわかる。

尊敬を集めるほど
人は孤独さを噛みしめるのだろうか。

言葉足らずな質問で申し訳ないような気持ちになった。
底の浅さが露呈したのは自分でもよくわかる。
自分の事ばかり考えているようだ。
こんなことを書くのは相手に失礼かもしれない。

期待にそえるような原稿にいたします。

話し方ももっと学びたい。

真剣に話し方や発声を学びたいと
学校を探したこともある。

しかし今やっていないと言う事は切実さが足らないのだろう。

でも、本当だ。

撮影に立ち合い、スタッフにお礼をして取り急ぎ移動。
カメラマンのNさんは機材準備も万端、絵作りの指示も的確で
いつも本当に助かるし、勉強になる。

JR線は混んでいた。

隣県で、打合せ。
4月から引き継ぐ次の担当者も一緒なので
合計7名でテーブルを囲み、みっちり2時間。

さすがに疲れをおぼえ
戻る電車でスピナーズを聞きまどろむ。

Love don't love nobody

イントロの清廉なピアノの響きに、心は揺らぐ。
そしてこの静かなる歌い出し!
ここでいつも、私は心の中で崩れ落ちる。
フィリップ・ウィン!あなたは素晴らしい。

この歌い出しにふれたら
私はおそらく立ち上がって拍手しちゃうだろうね。


愛はいつも誰にもやさしいというわけじゃない。

http://youtu.be/Em_6THb7OdE (頭にCMあり)




戻って、原稿整理、デザイナーさんたちに依頼。
だいたいにおいて気が散るタイプだが
余計なことをしているヒマはない。

デザイナーである友人は
これから集中するというとき
「鼻を閉じます」
と言った。

酸素といっしょに
人間は余計なものを吸い込んでいるのかもしれない。




2014年3月12日水曜日

2シート電車から2Bへ

いつもは横浜あたりから東京方面へ移動するとき
JRを使うところ、本日は、京急で。

川崎で乗り換えて、地下鉄線直通電車を待っていると
旅に行くような2ドアの車輌がきた。

通路をはさんで、2シートずつ。

みんな進行方向を向いている。

町田康による中原中也本を読む。
言葉が鮮烈だ。
鮮烈、つまり、飾り立てたところがない。
数秒を見逃さず、肌で見ている。

わたしは、偽ってばかりいる。
神経を研ぎに出していない。

春は金の風が吹くのだよ。

月夜の晩に、釦を拾って懐に入れるのだよ。


ふと顔をあげると、窓の外、飛んで行く景色。

これもまた皆が前を向いたシートの良さだ。

旅に出たい。

温泉とかそんなのはどうでもよい。

ただ、前を向いて乗り物のシートに座り
どこかへ移動したい。

電車は泉岳寺止まりで
今度は向かいの電車に乗り換えた。

乗換は面倒だが、居場所が変わるから、決して嫌いではない。

次の駅で
元気のいいおじいさんたちが、ざわざわと乗り込んできたら
シルバーシートにいたガタイのいい背広姿が皆立ったので
車内は、少し窮屈になった。

目の前にいた工務店風の濃紺の制服を着たおじさんの
胸ポケットにペン2本、
そしてあの深緑色した鉛筆。2Bという文字が金色に光っている。

久しぶりにみた。鉛筆。そして2B。

私は文字を四角く書くのに凝っていたので
高校時代はもっぱらFを愛用していた。

2Bの柔らかさが苦手であった。

胸ポケットに入れているということは
しょっちゅう使うのだろうか。
線を引くのか、文字をしるすのか。

おじさんは、2Bで何をするのだろう。





バルテュス

今回、美容院では若いお嬢さんが「エル・ジャポン」と「VOGUE」
を持ってきてくれた。

お店の人が勝手に2冊持ってきてくれるので
あたり、はずれは賭けである。

以前、女性週刊誌だったときは
意を決して開いてみたものの
どうにも気持ちがびちびちと裂けてささくれ立つような書き口が目立ち
これなら、モノマガジンや、男性誌の方がいいのになぁと思ったものだ。

「クロワッサン」のときは、あたりでもはずれでもない、気がする。

今回はポップなファッションも好みで、当たりの予感。

で、髪を切ってもらっているときは
ペイジをめくれないたちなので
クロスをかけてもらい待っている間、
美容師さんが他の人のところに行ってる間に
面白い記事はないかと
後ろのコラムのところから素早く目を動かす。

「エル・ジャポン」4月号。
ウォーホルのマリリンモンローが、どーんと1ページに。

「アーティストとミューズの知られざる物語」

先日、六本木通りでウォーホル展のラッピングバスを見かけて
気になっていたところだ。

文章は会田誠さん。ぴったりの人選だろう。

しかし、私をくぎ付けにしたのは
合わせて特集されているバルテュスのほうだった。

椅子らしきものに身体を預けて、けだるさそうに目をつむる少女。
片膝を立てているものだから、赤いスカートがめくれ
下着が丸見えだ。

その足もとでは、含み顔の猫が白い皿で白いミルクを舐めている。

「夢見るテレーズ」という作品だ。

当時は当然、扇情的なポーズと批判されたようだが
少女とは、これ、自然な格好だ。
これが少女だ。

すきだらけ、が少女の証。

少女は天使などではなく、善も悪も、ありのままである。


解説は、「爪と目」で芥川賞を受賞した作家、藤野可織さん。

内容も、少女にスポットをあてたものであった。

フランス人のバルテュス。
奥様は日本人である。

節子・クロソフスカ・ド・ローラさん。

30いくつも年齢の違う節子さんは、来日時に知り合ったバルテュスと
25歳のときに結婚し、彼の影響で絵を描くようになった。

「朱色の机の日本の女」には、しどけない姿だが
救いを求めるような憂いのある表情の色白の女性。
モデルは節子さんのようだ。

しかし、写真で紹介されている節子さんは
和服を着た凛とした方であり
その人がこんな表情、姿を露わにすることもあるのかと
少し驚く。

その表情には
夫であり芸術家であるバルテュスへの揺るぎない信頼が
あらわれており、圧倒された。

まだ私にとっては、美容院の待ち時間で出会ったばかりのバルテュス。
少し調べてみよう。


ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルティス。
4月から節子夫人全面協力のもと東京都美術館で大回顧展。
「朱色の机の日本の女」も
日本で初公開となる。

http://balthus2014.jp/

2014年3月11日火曜日

通行証

医者で読んだ「家庭画報」
美容院で読んだ「ELLE」

いずれもコラムになかなか読み応えがあった。

「家庭画報」は
こころとからだといのちの科学。
加々美幸子さんと専門家との対談。
お相手は、“生命誌研究者”との肩書きをお持ちの中村桂子さんである。

史ではなく、誌。

なんだろう雑誌の代表という意味かなと思ったら
<人間も含めてのさまざまな生きものたちの
「生きている」様子を見つめ、
そこから「どう生きるか」を探す新しい知>

とのこと。

中村さんは大阪にあるJT生命誌研究館の館長をしておられる。

http://www.brh.co.jp/

今回のテーマは出生前診断であった。

この世に産まれるとは
「あなたは生まれることができますよ」
と通行証をくださったことだと中村さんは言う。

遺伝子が完璧な人など一人もいない。

そして生き物には正常も異常もない。

「生きるものは、わからないことだらけ。
考えながら生きるのが人間らしさ」

診察室に呼ばれるまで
目を上下にフルスピードで動かし何度も
そのくだりを呼んだ。

また我が子のことで恐縮だが
以前にも書いたように
私は、息をすることと、寝ることと、泣くことと
お乳を飲むことしかできない赤子を前に
少し途方にくれていた。

どんなお子さんに育てたいですか、と
テレビでどこぞの芸能人に尋ねる人がいる。

どんな子って。

そのとき思い浮かんだのはただひとつ。
人がどうであれ
自分で考えられる人になればいい、ということであった。

考えることこそ、人として生まれてきた証である。
通行証をもらってここに来たのである。

そして私は、彼に教えられる生きる技など
何もないと暗鬱たる想いがしたものだ。

ただひとつ、彼に伝えられるとしたら
それは文化、しかないと思った。

それもまた
能足らずの親としての逃げだったのかもしれないが。




そして私もまた、通行証をもらってここにいる。

石垣りんさんの「悲しみ」という詩があって
手首を骨折した六十五才のその人は
すでにこの世にいない両親に
もらった身体をこんなにしてしまって
ごめんなさいと泣くのだ。

「今も私は子どもです。
おばあさんではありません」

この下りで、私は立ち読みして少し泣いた。







2014年3月9日日曜日

ひとりの散歩

単調な仕事に飽き
普段ならだらだらと過ごすところ
お医者さんに、運動するように言われたこともあり
近くの公園へ。

梅まつりは終わったが
日曜の午後、大勢の人が出ていた。

カップル、小さい子を連れた家族、一人でカメラをむけるおじさん。

この寒さで、例年より遅く
紅梅も白梅も、ころあいはほどよい。

もうすぐサクラ咲くしねー。

若いカップルが顔を見合わせて笑う。

咲くではなく、咲くしって、なんだ。
あくまでメインはサクラなのか。

他にも「サクラよりウメのほうが・・・」
と比べる声が聞こえる。

私の中では、サクラが咲いたら春はたけなわを迎え
そして終わる。

サクラが花開くまでの時期が一番好きだ。

ウメの写真を撮ってみた。

愛らしい花のアップもいいが、
まだ丸坊主の冬木立と共にある様子も撮りたい。

今の季節と次の季節とは、互いに呼応しあい、せめぎあい
そしてゆっくりと移っていく。

ひとりであれば、
その輪の中にひととき身を置くのも
いくらか容易である。

昔、タウン誌で散歩の連載を持っていたときは
こうしてよく、たたずんだ。

たたずむ散歩だった。
私は、いつも、風景の中に、ひとりを確かめた。

帰りに図書館に寄って
石垣りんさんと、町田康が中原中也の詩を
解説する本

石垣りんという名前は
高校のとき
「 私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
を読んでからずっと心に残っていた。

尾崎放哉の「せきをしてもひとり」と同じくらい。

ブルースに心奪われ
ブルースしか見えなかった高校時代に
こころ動かされた詩、そして俳句だった。








コレステロール過

土曜日に健診の結果を聞きに行く。

コレステロール値だけが問題であった。
次の検査で減らないと、投薬だそうである。

善玉も多いが、悪玉も多い。

善と悪でせめぎあうコレステロール。

血管が詰まって死ぬのだろうか。

先生は言う。

「以前、私が登山をしてアタック直前に
遭難したときは、21日間で10キロ痩せました。
人間は口から入れたものだけで太ります」

「どちらに行かれたんですか」

「カラコルム。ヒマラヤです」

へぇ~、先生は登山家だったのか。
アンデスのどこぞの山にも登り
雪を食べてしのいだという。

「二十歳のとき、せめて二十代の体重に戻してください。
私は、いま62歳ですが、●●キロ。
当時より2キロ少ないです。
体重を落とすと調子はいいです」

20代半ば、私の体重は40キロ以下であった。

今のやせ細った若い女性たちも
将来そう言われるのであろうか。
決して健康に見えない痩せ方をした人もいるが。

「私が子どものころ、めざしがよく食卓にあがりましたね。
鮭があるとごちそうでした。
肉が出てきたのは高校生くらいですね」

若い人に心筋梗塞が多いのは食生活によるものだろう。

子どものころを思い出す。
めざしをよく食べたおぼえはない。
思い出すのは、おかずではなく
ごはんにかける、どぎつい桃色のでんぷや
味噌ピーのことばかりだ。
パンにソントンのピーナツバターを塗るのも好きだった。

「狩猟民族は、いつ次が食べられるかわからないので
その場でおなかいっぱい食べてしまう。
しかし、農耕民族であるアジア人は、収穫した米を貯蔵しておいて
少しずつ食べます」

淡々と、しかし途切れなく
体験を交えたアドバイスは続く。
食用油をナントカに変えようが、素材をナントカにしようが
口から入れれば、所詮蓄えられるのは同じである。

「おなかがすいた、という感覚を大事にしてください」

思い当たるところはある。

まず、口に入れるものを減らそう。
そして少し意識して歩こう。

シモキタまで髪を切りにいった帰りに
スーパーMによる。
夕食は、刺身、トリ肉入り味噌汁。

野菜は余りもんの野菜だが。

クズ野菜。くずな野菜。野菜のクズ、くず。

料理している間
頭の中をぐるぐるまわって離れなかった。