2014年1月10日金曜日

交番のおまわりさん


先日の自転車の件でようやく交番に行く。

なかなか恰幅のよい眼鏡をかけたおまわりさんが
机に向かって何か書き物をしている。

こんにちは、あの、自転車が失くなってしまいまして・・・

「盗難ですね」

あえて盗まれたと言わなかったのに
非常に単刀直入だ。

私にしては珍しくきちんと保管してあった
防犯登録証の控えを出し説明。

えっと、そこの○○というマンションの駐輪場にですね・・・

「あ、ちょっと待ってください。順番にお聞きします。そこにおかけください」

はい・・・え?  あれ。

机の下をのぞき込みましたが、椅子などありません。

「あ、椅子なかったんだ」

と後ろの引き戸をあけると、奥の部屋にもう一人おまわりさんがいるようだ。

折りたたみのパイプ椅子を、ぎし、ばたと広げてくださる。

ようやく腰をおろす。

「あれ、これ、自分の・・・お母さんのじゃないですよね・・・」

面食らう。もちろん私のですよ。そんなに若作りしてないぞ。

その後、最後に見たのはいつか、
なくなったことに気づいたのはいつかなどを
尋ねられる。日付を答えると

「時間は何時頃ですか」

あ、そうきたか。
え~そうですね。

気づいたのはその日のちょうどお昼の12時頃です。

すると、そこでおまわりさんのボールペンが止まった。

奥の扉をまた開けて、もう一人のおまわりさんに尋ねる。

「お昼の12時は零時?午後12時でいいの?」

書き方にも、いろいろ細かい決まりがあるらしい。
それから事実関係をいくつか聞かれる。

「色はどんな色ですか」

ここにミラーシルバーと書いてあります。と、自転車屋の控えを見せる私。

「グレーですかね。光沢のあるやつですかね」

いや、光ってはいないと思います。うん、グレーと言えばグレー。

用紙をのぞき込むと、どうもいくつかの選択肢から
マルをつけなければならぬらしい。

特徴を言えばよいのかと思い
新しく黄色いベルを付け直していますと
話すが、それはどうも余計なことだったようだ。

あぁ、いや・・と無かったことにして先に進む。

「犯人の手がかりになるものはありましたか」

なんですって。それも考えてなかった。
遺留品ってやつかな。
たとえば、可能性として、どんなものがあるのだろう。
靴とか、カバンとか、足跡とか?

「価値はいくらぐらいにしますか」

価値?価値ですか?あの錆びも目立つママチャリの?

「いくらぐらいで買いました?」

そうねぇ、1万いくらだったかな。あ、5000円でいいです。もう7年も乗ってるし。

「5000円でいいですね。カギはどんなタイプですか。チェーン状?それとも」

あれは、なんていうの。くるっとなってて、カギを差し込むとガチャッと外れるやつです。

若いおまわりさんが、いつの間にか横についている。

「あぁそれは馬蹄形です」
「馬蹄形ね。ああいうカギを馬蹄形って言うんですよ」

ほかに、登録証の数字が、7なのか1なのか判読しにくい部分があり
これは「7」ですよね。とおまわりさんは私に確認した。

さらには、私に渡す控えの紙を一度書き損じ
「あぁ~」と言いながら
引き出しから新しい紙を出した。

この恰幅のいいおまわりさんは、
普段は自転車盗難など扱わぬ畑違いなのだろうか。
あるいは、事務処理があまり得意ではないのだろうか。

間があったので
私はもう一度、
黄色いベルを付け替えています
と言ってみた。

「いや、探すときは防犯登録の番号で判別しますから大丈夫です」

そうなのか、残念。

印鑑がなかったので、左の人差し指を黒いスタンプ台につけて押した。

これで・・と、
インクをぬぐうために勧めてくれようとしたのは
クリップにはさんであった
メモ用紙であった。

見かねたか、若いおまわりさんが
ティッシュを1枚、渡してくれる。

その後、自筆で住所、名前、年齢、電話番号を用紙に書き入れる。

「住所は東京都から、ふりがなは、ひらがなで書いてください」
「職業はなんですか? ヘンシューシャ? えーと自営業ですね」

その後、若いおまわりさんも一緒に
これは代書である旨や
自分で見つけても必ず連絡するようにということ
遠いところで見つかることもあるので
きちんと警察署の連絡先を聞くようにといった注意事項が話される。

交番に行くのは気が進まなかったが
高圧的ということもなく
萎縮するということもなく
なんだか逆に
おまわりさんの方ががんじがらめのように思われたのだった。

2014年1月8日水曜日

捨てられない資料


アトランティック・シリーズ第4弾の
ライナーを書く。

この手のライナーだと
どうしてもブルースしか担当できないでいたが
このシリーズは、ソウルやファンクのアーティストの
ライナーも書けるのでうれしい。

先日のロバータ・フラックも
うれしかったなぁ。

まさかこんな日が来るとは。

なぜかお声がかからないが
日本のフォークやロックも書いてみたい。

夜は、新宿の居酒屋へ。

昔、わたしたちが招聘したアーティストの公演について聞きたいとのこと。

いろいろな方にご協力をいただき
シカゴからハーモニカ・プレイヤーを呼んだのである。

もう25年も前のことだ。

大事にとっておいた資料をお持ちした。

パンフレットやフライヤーはもとより
契約書のうつしや、予算表などもある。

本当は捨てようと思っていたのだ。

繰り返しになるが、もう1/4世紀も前の話なのである。

いつか役立つだろうと、モノをとっておくのを
やめようと思い始めていた矢先。

でもこれでまた捨てられなくなった。

いろいろマイナスな意見も述べてしまったが
うまくいくといいなぁと願う。

あのときはいろいろなタイミングが
ぴたりと重なって招聘にまで結びついた。

始まりは、そのアーティストをどうしても日本に呼び
皆に観てほしいという
アメリカ帰りの一人の女性の情熱から始まったのである。

なにごとも基本は情熱、信じること
あきらめないことだ。

彼女とはそれ以来、ずっと一番のよい友だちである。

そして相談に来たYさんにも言ったが
なぜアメリカからこんな遠く離れた日本で
ブルース・ライヴが続けられたかといえば
身銭を切ってでも情熱を注いだ
人たちが日本各地にいたからなのだと思う。

東京だけでも、京都だけでもない。
レコード会社だけでも、雑誌だけでもない。
ブルースに惚れ込んでしまった
全国の方々がいたからこそ
ここまできたのだ。

そういう方々に感謝してやまない。






2014年1月7日火曜日

アタマの中に聞こえてくる歌


せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ
すずな、すずしろ。
これぞ七草。

春の七草は節をつけて、必ず言える。

アタマの中では父の声が歌っている。

小さいころ、千葉大の裏手にあったと思うのだが
原っぱによく遊びに連れて行ってもらった。

家には植物だの昆虫だの人体だの
いろいろな図鑑があり
小指ほどの小さな花をつけた
のっぱらの草を見つけては
名前を確かめた。

あのころの図鑑は、写真などではなく
イラストだったはずだ。

そんなわけで、七草粥など食べたことはないが
ホトケノザやナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)などは、馴染みの深い草だ。

以前、七草の歌がアタマの中で聞こえてきて
スーパーで七草セットを買って
食べてみたこともあったが
一つも美味しいとは思わなかった。

私が好きだったのは
七草の歌を歌う豊かさであり
七草に選ばれた小指ほどの花をつける
のっぱらの草たちであったのだ。

実際、もう実になって
いかにも食べがいのありそうな
スズナ、スズシロより
草っぱらの花たちのほうが好きだった。


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歌といえば、
JR品川駅で電車に乗るとき
発車メロディで鉄道唱歌が流れると
いつも祖母の声が聞こえる。

   汽笛一声新橋を・・・

明治生まれの祖母は、
何不自由ない家に育ちながら
結婚後、まもなく夫を亡くし
息子2人を亡くし、2度も火事に遭った。

2番目の息子が6歳の頃だったか
「母さん、さよなら」
と言ってから亡くなった話は幾度となく聞いた。

ごはんを作るなど
家のことは何もしなかったから
母親はずいぶん苦労したと思う。

ただ
ボクシングやプロレスが好きで
爬虫類展や映画に連れていってくれたりする
好奇心旺盛なところはあった。
着物を着て、いつもきちんと化粧もしていたと思う。

「みいちゃん(私のこと)は、医者か、寺へ嫁に行くといい」
が口癖であった。

そんな祖母と私は、小さい頃からずっと同じ部屋に寝ていた。

高校生くらいになると
「みいちゃんや、プロレスがあるから夜中の1時に起こしてくれや」
と頼まれたものだ。

  汽笛一声新橋を・・・

の歌を私は2番までなら、逆に言うと
泉岳寺を通り過ぎる2番までしか
間違いなく歌えない。

そのあとは、教わったのだったか、どうだったのか。

あの歌に明治生まれの祖母が
どんな体験を重ねていたのか
いまは知る由もない。



2014年1月6日月曜日

ひしゃげた着方


5日。

電車に乗っていたら
なんだか、みすぼらしいような気がした。
私のコートには、マフラーの毛玉がついている。

年末にCDを買いすぎて
新調したかったコートをあきらめたのだ。

新年だからなのか
しゃれたコートに、小ぶりのバッグを持ち
ウールのマフラーをかっこよく結んだ塩梅の女性が目立つ。

いやいや、そんなことはないぞ。
意外に皆、廉価なものを上手に組み合わせ
さりげない服装をしているぞ。

私の場合、着るものそのものはもとより
ひしゃげて着てしまうような着方が悪いのだろう。

いまだにボタンを掛け違えたり
襟ぐりがひん曲がっていたりも
珍しくない。

何にとってもバランスはよくない。

とは言え、実家に帰ったとき
近くのショッピングセンターで
欲しかった茶系のブーツと
仕事にも使えそうなスカートは買ったのだ。

ブーツを手に
「これ、皮ですか」
と老齢の母が店員さんに尋ねている。
「皮でございます」
女の店員さんは、当たり前でしょうという顔をした。

なにしろ、もともと安いところが
半額になっていたのだ。

皮といってもいろいろあるのだろう。

「じゃ、防水スプレーをしないとな」
私はつぶやいた。


今年は5日の夜から仕事を始めた。
明けて6日は
いきなり校了の日であった。

私はゆるゆると仕事を始めたが
まわりの人は、3が日過ぎて
会社に出た人もいるようだ。

3日から働くので先にできた分を送りますと
2日の夜にメールをしてきたデザイナーもいた。

今年、この白地は埋まるのだろうか。

ほぼ日手帳に〆切を書きながら、1年を案ずる。


2014年1月5日日曜日

店で出会った曲


週末。

渋谷でのひと休みにはいつも困る。

今日は東急ハンズの前にある
雑居ビルの6階にある宇田川カフェ別館に入った。

音楽も悪くなさそうという理由。

エレベーターの扉が開くと
すぐに店内だった。

レトロなような淫靡なような
見方によっては薄汚れたようなインテリア。
最近多い、リノベーションカフェか。

ラヴァーズロックというより
日本語のヒップホップみたいな曲がかかっている。

お客は一人。
あたりで働いているような女性が
少し難しい顔をして、一人で何か食べている。

席について見回すと
窓際にはDJイベントで使うのか
機材などが乱雑に置いてあった。

と、曲が奇妙礼太郎に変わった。

人気なのだなぁ。

このぺったりした歌い方が最初は苦手で
レビューも何と書こうかと迷った。
O川さんはMM誌で上手にレビューされていた。

今は、なかなか色気のある歌手だなぁと感じているが
そこまで人気沸騰するというのは
やはりライヴに秘密があるのだろうな。

森は生きているというバンドも人気だが
ライヴを観たとき、
言葉が届いてこなくて
ライヴならではの場の生命力を感じることはできなかった。

今はどうなのだろうか。


夜、西荻窪のほうぼう屋を訪ねると
大音量で、はっぴいえんどがかかっていた。

大瀧さん残念でしたね、とママに言うと
同郷なのだという。

こんなに大きな音で聴く、はっぴいえんどは初めてだ。
昔よく聞いていたからではない。
彼らは何かを抱え込んで
そして吐き出している。

Nさんは、岡林とはっぴいえんどのステージを観たことがあるという。

大人でもこんなにだらしなくて良いんだ、と目を開かれたそうだ。

なんだ、これ。と思った人も多かったのだろうな。