2012年10月15日月曜日

絵本の不条理

息子が自分のクレジット・カードを持つようになってからは
昔以上に、彼あてに、通販のなにやらが届くようになった。

もちろん、私がハンコを押して受け取ることもあるのだが
だいたい、はいよ、と、そのまま渡すか
机の上に置いておくことになる。

うちは、いちおう振り分けなのだが
2人とも、扉を あけっぱなしなのだ。

何買ってるんだかと気にならないと言えば嘘になるが
是が非にでも知りたいとも思わない。

先日も、はいよ、とポストに刺さっていた
アマゾンの封筒を渡したら
まもなく、私のところに彼がやってきて
「ほら」と一冊の本を見せた。

彼が買ったのは、馬場のぼるの『11ぴきのねことあほうどり』(こぐま社)
という絵本であった。



改めて読むと、スケール感がすごい。

投げっぱなしみたいな終わり方もすごい。

ところどころに感じる、わけのわからなさも、見事である。

そういえば2~3日前に
小さい頃読んだ絵本の話をした。

うちにあるのは、『11ぴきのねことぶた』である。

“不条理”を感じていたという話。

五味太郎さんの『がいこつさん』も
面白いだけでなく、なんとなく哀しさがあったと。

してやったり、である。

虚しさみたいなものを伝えたかったんだよ、母ちゃんは。

もちろん、当時の彼が不条理であるとか、空虚であるとか
うらさびしいとか、
そんな言葉を知っていたわけではないだろう。

でも、ゲラゲラ笑いながらも
なんか、笑いの後にふっと寂しくなる感じを
どこかで獲得していたのかと思うと
うなる。



子どもを持ってとても新鮮だったのは
絵本を選ぶという作業だった。

大人になってから、およそ縁のなかった世界である。

特に名作シリーズ以外の創作絵本という分野は新鮮だった。

本屋や図書館に行き、面白そうなタイトルに目をつけ
面白いと思うものを買ったり、借りたりした。

育児雑誌などで「絵本は何を買えばよいでしょう」
という質問が載っていると、不思議な感じがした。

親が面白い、いい話! 笑える! 楽しい!  
と思うものを買えばいいんじゃない?

読んでやるのは、最初は親なのだから
読みながら親だって夢中になりたい。

絵本は、親から子どもへのソウル・メッセージなのだ。
人生ってさー、こういうものなんじゃない?
と一緒になって泣いたり笑ったりしたいのだ。

定番ながら林明子さんの一連の作品など

読みながら、せつないっ!と涙が出た。


だからこそ、絵だって文体だって
私自身が、納得いくものを選びたい。

二番目の要素としては
子どもへのサービスという点も見逃せない。

最初に読んでやったときに
子どもに大いにウケてほしい。
目を輝かせるのを見たい。

そのうえで、図書館などで子どもが夢中で
ページをめくっているものがあれば
ゲーム本であろうとなんだろうと、
なるべく借りていたような気がする。

彼の興味だって尊重しなくちゃね。



思い返せば、私が幼少のころ
なぜか父親は、少年サンデーやマガジンといった
漫画雑誌を買ってくれることがあった。
家には名作絵本の類もいっぱいあったけど
そのほか
文字ならなんでもいいと思っていたらしい。

現在の雑食っぷりには
その影響が如実に表れているといえば表れているような気もする。